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ドライブスポット17 静岡県富士宮市 陸軍少年戦車兵学校 周辺跡地

2020年9月25日その他地域,動画,場所,富士山

今年(2020年)の夏休みはコロナウィルスの為、外出は控えて実家への帰省もしませんでした。そこで9月の敬老の日と秋分の日で4連休となった先日に実家へ行ってきましたが、夏休み以降で初めての連休にあたる為か、高速道路から下道の一般道まで大渋滞でした。いつも通過する山梨県の河口湖から静岡県の朝霧高原・白糸の滝周辺も渋滞が長く続いていた為、実家からの帰宅時は時間調整を兼ねて周辺に寄り道する事にしました。

今回も「ドライブスポット」というカテゴリー名には抵抗がありますが、分類上やむを得ず記載しています。

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富士山周辺は世界遺産として富士五湖や浅間神社、忍野八海、白糸の滝などが構成資産として登録されています。これらに加え観光スポットやキャンプ場も多くあるので、特に夏場の渋滞は毎年長く発生しています。近年は観光でとても賑やかな富士山周辺ですが、静岡県富士宮市にある「白糸の滝」周辺は色々と歴史もあるので、今回はその内の1つに立ち寄ってみました。

注記

記事内容は私個人の記憶による部分も多いので事実と異なる内容もあると思います。従って引用や参考等とする場合は記事内容の責任を負う事は出来ません。

陸軍少年戦車兵学校 跡地

昭和17年8月に千葉からこの地に移転され、少年戦車兵の教育や訓練が行われたそうです。現在この地には「若獅子神社」と「若獅子の塔」があり、後にサイパン島から帰還した「九七式中戦車」も安置されています。

戦時中の事や陸軍少年戦車兵学校については、ここで詳しく記載するつもりはありません。若獅子神社の公式HPもあるので、詳しくはそちらを見て下さい。ここでは現在の様子と地域に残る物を紹介する程度になっています。また記事内で紹介している内容の場所は、記事最後にGoogleMapで掲載します。

若獅子神社・若獅子の塔

若獅子神社と若獅子の塔は同じ場所にあります。国道139号線で白糸の滝へ向かう際に利用する「上井出I.C」のすぐ近くにあります。近所には車両のアフターパーツで有名な会社もあります。

ここに来るのは実に20年ぶりくらいの気がします。小学生時代にちょっとした遠足で来たり、友達と遥々自転車で来た事もあります。正面に神社があり左に白い若獅子の塔、そしてそのさらに左に九七式中戦車があります。

またこの位置からは富士山も見えるのですが、特に夏場は雲が出やすいのでこの日は一瞬だけ山頂が見えただけでした。

帰還戦車

久しぶりに見た戦車ですが、思っていた以上に劣化が進んでいました。特にキャタピラーの片側は以前は上部も繋がっていましたが、現在は破断して車輪も落ちてしまっています。もう一方にももう少しキャタピラーがあったと記憶しています。これまで何度か維持・保存の為の工事が行われていますが、屋根のみ(以前は屋根すら無かった)なので、仕方の無い状況でしょうか。そう言えば戦車の安置されている場所自体も、以前は若獅子の塔の右側だった気がします。

その他

陸軍少年戦車兵学校の構内図とされる当時の周辺地図があります。若獅子神社・若獅子の塔は構内図では北側(上部)にあるので、戦車兵学校としてはこの位置から南へ広がっていた事になります。また現在残る建物はありませんが、区画や道路はそのままだったり、わずかな遺構は残っています。

まずはこの若獅子神社・若獅子の塔の入口には当時の門柱がありますが、表門から移設された物とされています(表門については以降にて)。

また路面のコンクリートは私が子供の頃から変わっておらず、これも当時の物の様に思えます。近所の民家前もこの様なコンクリートのままの箇所があります。

若獅子神社の碑の隣には「陸軍」という境界杭がありますが、これもどこからか持ってきた物でしょうか。

周辺の遺構

ここからは私の記憶に残っている、この地域にある遺構を回ってみます。20年ぶりなので正確さや現状の様子に不安がありますが・・・。

表門

当時の表門は分かり易い場所で、現在の富士宮市立上井出小学校とスポーツ広場の南側の一角です。手前の直線道路も以前と変わらない雰囲気でした。道路の側溝部分は当時の物の様に見えます。

ここにあった門柱が現在の若獅子神社入口に移設されたと思われますが、門柱以外の部分もまだ残っています。

また扉の開閉に使われた敷石(?)も見る事が出来ます。

表門から左へ視線を向けると現在は農協の建物がありますが、その出入口にはやはり当時の物と思われる門がのこっています。当時で言うと面会所や集会所の門でしょうか?

燃料脂油庫

先で現在残る建物は無いと書きましたが、私が知る限りでは唯一残っている建物があり、それは構内図で「燃料脂油庫」とある場所にあります。私が子供の頃には上井出小学校の倉庫として利用されていて、子供の間では「弾薬庫」と呼んでいたと思います。これ以外の建物については、以前はポツポツと小さな建物が同様に民家の倉庫などとしてあった記憶がありますが、現在は残っていない様子です(場所の記憶も定かでありません)。

プール

構内図で燃料脂油庫のすぐ北側に「プール」とありますが、これはそのままで水泳の為のプールがありました。またこのプールは上井出小学校が現在の建物(当初は木造のままで中学校との併設)になってからも、数年は小学校のプールとしても使われていました。ただし深さがあったので子供用にコンクリートを流し込んで浅くした、と何かあるいは誰かから見聞きした記憶ですが、現在は取り壊されて小学校のプールは校舎の北側に新しく作られています。元の「プール」は現在小学校の駐車場となっていますが、プールの底部分はコンクリートで厚くなっていて壊す事が大変なので、そのまま残っているとも記憶があります。現在の駐車場は砂利敷きですが少し下に埋まっているのかもしれません。

防空壕跡

構内図で「若桜神社」となっている場所は、現在は墓地になっています。その一画にコンクリートで作られた四角い物があるのですが、これは私が子供の頃には「防空壕」だったと言っていました。

現在では屋根部分が見えていますが、以前は土が被っていて「山」になっていた記憶があります。出入口も塞がっていますが、これも以前は特に塞がってはいませんでした。ただしやはり怖かったので入った記憶はありません。

ちなみに現在の「若桜神社」は白糸の滝、音止の滝の近くにあります。

必中橋

構内図で若桜神社のすぐ近くに「東門」と「必中橋」が書かれています。現在東門の痕跡を残す物はありませんが、必中橋は名前が残って現在の県道72号線上の橋となっています。現在の必中橋自体は当然当時の物ではありませんが、その他の橋で特に欄干だけはコンクリートの古い物が残る物もあります。

「陸軍」境界杭

若獅子神社にあった「陸軍」の境界杭ですが、今も同じ位置に残る境界杭があります。現在は統合されて閉鎖(2017年)となった「国立富士病院」前の道路脇に立っています。

ペンキが塗られているので、現在も境界の役割をはたしているのでしょうか?ちなみに国立富士病院も、前身は陸軍病院となっています。

天神山

構内図の左上に「天神山応用操縦場」となっている場所は現在、静岡県の「天神山自然観察の森」となっています。子供の頃にはここにも遠足で来た事がありますが、少し当時の物が残っていた記憶があります。

天神山へは若獅子神社の方向からは県道71号線に繋がる道を進みますが、この道自体も以前からある道です。現在はうっそうと生い茂った森の中を通っていますが、県道71号線から国道139号線の上井出I.C.への抜け道としても案内されているので、20年ぶりに行ってみた時も車の往来が多くて少々異様な光景でした。普段は人の気配すら全く無い場所です。

「天神山自然観察の森」の駐車場は県道71号線からすぐの位置ですが、工場の脇にある砂利道の先にあります。砂利道に入った時は間違えたかと思う場所ですが、その先にトイレも完備している駐車場があります。

駐車場からは階段で登っていきますが、正直なところ「天神山自然観察の森」には何もありません。頂上付近に東屋が1つあるだけです。以前はこの位置から富士山がとても綺麗に見えたのですが、現在は木々が生い茂ってしまい、富士山を見渡す事は難しい状況です。

「天神山自然観察の森」の中では、やはり当時の物と思われる石垣やコンクリート敷きがあったりします。東屋の隣にはやはりコンクリートで作られた柱の様な物がありますが、当時の用途は不明です。記憶ではもっとしっかりとした門柱だったのですが、少々違っていました。

また天神山の東には広くて四角い敷地が見えますが、ここも一面コンクリートで覆われています。当時の利用方法は分かりませんが、私が子供の頃は一時期ゴーカート用のミニサーキットがありました(現在は別の場所に移転)。GoogleMapの航空写真でみるとすこしコースの跡が見えます。

地図・その他

今回見て回った内容の場所は上記地図になります。

また白糸の滝周辺には歴史的に古くから残る名所・旧跡が多くあります。源頼朝から曽我兄弟、富士講の人穴など。近年では今回の陸軍少年戦車兵学校ですが、以前から気になっているのは富士宮の市街地からこの白糸の滝地域を抜け、さらに北部へ進んでいた馬車による「富士軌道(wiki)」です。富士宮市街地内はネット上でも調べている方は多く見受けますが、北部になるほど情報は無く、またその痕跡も残っていない様子です(潤井川沿いの上井出歴史広場には少し残っている)。古い地図などにはそのルートが上井出小学校の西側を通り、旧国立富士病院を抜けている様に書かれていますが、現在のどの位置になるのかハッキリと分かりません。時間がある時にじっくりと見てみたい気持ちもありますが、実家への帰省に合わせてもなかなか時間が無いので実現していません。

動画

上記は若獅子の塔と、周辺の遺構を回ってみた時の動画です。天神山は動画に含んでいません。

ブログ記事公開後に再び同じ内容(翌年に同じ場所を走行など)の動画を作成・公開している場合があります。記事内の動画もなるべく最新を掲載する様にしていますが、最新や過去・その他の動画を見る場合はYoutubeを見て下さい。